164.案内標識【油島駅】

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所在 岩手県一関市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和6/2024年5月
位置 38.797841, 141.174552
備考 消滅寸前

JR東北本線油島駅。
そう聞いてすぐに思いつく人はいないだろう、岩手県の小駅。
それを案内する白看が現存している。

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事前にストリートビューで確認してから現地へ向かったのだが、どうもイメージと雰囲気が違う。
道路の反対側は拡幅改良され、歩道が整備されている。
そして白看の背後にあった鬱蒼とした森は消え、辺りはすっかり開けた明るい雰囲気に変わっていた。

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支柱のみがポツンと取り残され、肝心の白看は一瞬撤去されてしまったかに思えたが、支柱の足元にそれは残されていた。
白看の背後にあった森がなくなったということは、反対側同様、近々こちら側も改良工事が行われ拡幅される予定なのだろう。

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それを示すように、白看の支柱とその奥に見える白いガードレールには、障害物の目印と思しきピンク色のリボンが巻かれている。
恐らくそのラインまで道幅が拡幅されるのであろう。

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工事が進めばこの白看が消滅することは必至。
それもまもなく。
白看がまた一つ消えていくことは淋しいが、道路改良は住民のためには言うまでもなく良いことであり、こうして変わっていくことは当然のこと。
諸行無常なのである。

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消えゆく白看をひっくり返してじっくりと眺める。
もともと相当に傷んだ白看だったため、背面も例によって錆で覆われ、全体が茶色になっている。
特段ラベルのようなものは見られない。

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その白看に案内される油島駅がこちら。
瀟洒な駅舎に改築されているが、国鉄時代は味のある佇まいであったに違いない。
かつて頻繁に特急や急行が往来していた東北の大動脈も、今では1時間に1本程度の長閑な普通列車が走るのみである。

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152.案内標識【日比谷公園】

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所在 東京都千代田区
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5/2023年7月
位置 35.675471, 139.759357
備考


日本の首都、大都会東京。
その中心、皇居外堀のすぐそばに奇跡的に今も残る白看。
白看現役時代には、おそらく他のどの都市よりもたくさんの白看が設置されていたであろう東京都内。
しかし、常にあちこち工事中のような都内では、白看が更新されずに残る可能性などほとんどないであろう。
そんな中で、今も残るこの白看は大変貴重な存在である。

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今回近くに仕事があり、出張のついでに撮影に成功。
気が重くなる出張なのだが、これくらいの楽しみはないといけない。
受領は倒るるところに土を掴むのだ。

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表面はうす汚れながらも致命的な損傷は見られず、状態は良い。
背面は「キ」型の補強となっていることからも、モノ自体はそこまで古くはないとみられ、白看末期の昭和40年代後期頃に設置されたものと推測される。

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丁寧にも管理票が貼付してあり、しっかり管理されていることがわかるが、設置年月は記載なし。
当然ながら設置当時に貼付されたものではないため、あとから貼る際に設置年月は不明だったのだろう。
国道1号のおにぎりが燦然と輝いている。

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白看ブリグにて東京都の白看の掲載は、実は初めて。
常に最新にアップデートされている都内にあって、50年近くアップデートされていない白看はまさに好対照。
今更この白看を見て日比谷公園に案内される者はいないだろうから、今はもはや誰にも顧みられることはないのだろう。
けれども、この白看は日本の象徴及び三権に最も近い存白看として、気位高く今も立っているのだ。

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151.案内標識【中綱湖】

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所在 長野県大町市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5/2023年3月
位置 36.600105, 137.845540
備考

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150.【木崎湖】105の北側に、もうひとつ中綱湖という小さな湖がある。
そのほとりに立つ白看。
恐らく150.【木崎湖】105と同じ時期に設置されたものであると思われる。
「著名地点」として案内されているということは、この中綱湖もかつてはそれなりのレジャースポットだったのだろう。
今では国道148号線のバイパスもできており、通る車もまばらな静かな湖畔の集落といった場所だ。

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こちらは蔦に絡まれることもなく、比較的元気に立っている。
板面の状態は150.【木崎湖】105と似たような状態ではあるが、こちらの方がうまく言えないが「白看らしい」雰囲気があり、好ましい。

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背面は150.【木崎湖】105と全く同じ「キ」型。
左下にも同様の文字表記が見られる。
こちらの方は間近に接近できたので、もう少しよく観察することができた。

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「長野県大建□□案□□39?.□」と読める。
「大建」というのは恐らく「大町建設事務所」を指しているのではないだろうか。
数字の方は150.【木崎湖】105で読み取れた部分と併せて推測すれば「39.9」ということになり、偶然の一致か意味があるのか、奇しくも016.【韮崎/岩村田】104に見られた記載と一致することになる。
この「39.9」という記載を、そのまま「昭和39年9月」と読み取ってよいのか、それとも他の意味があるのか、今ははっきりしたことは不明だが、ここでは前者の意味として考えておきたい。

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150.案内標識【木崎湖】

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所在 長野県大町市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5/2023年3月
位置 36.545626, 137.842197
備考

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長野県の国道148号線旧道沿いに残る白看。
レジャースポットとして著名らしい木崎湖のほとりで、今も倒れかけつつも頑張って案内している。
この白看は以前にも撮影していたが、夏季だったため草が繁茂し、板面をうまく撮れなかった。
今回は冬枯れ残る春先に撮影したが、やはり枝が邪魔をする。

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支柱には蛇が獲物を捕らえるように蔦が絡まり、標識自体は傾きが大きく、満身創痍といった風情である。
それでもなお立っていられるのは、案外蔦のおかげなのかもしれない。
板面の劣化具合は、草に埋もれた時によく見られる味わいに欠ける汚れ方で、同様のものには081.【石川県】012/082.【津幡町】 や091.【長野市】101 などが思いつく。
ひっかき傷のような傷も見られる。

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裏面は単柱式の101〈市町村〉や105〈著名地点〉ではお馴染みの「キ」型の補強。
残念ながらうまく写真には収められなかったが、左下には「長□□□9.9」の文字が見られる。
この文字、どこかで見たなぁ…思い出すに、016.【韮崎/岩村田】104の背面にも同様の文字が見られた。
そこには「長野県岩建□□.39.9」という文字があった。
長野県の出先機関には「建設事務所」というのがあり、各地域の土木行政を担っているようだが、「岩建」というのは「岩村田建設事務所」の略と思われる。
現在長野県に「岩村田建設事務所」という組織は存在しないが、その後統廃合されたと推測する。
要するに、背面の記載は所管建設事務所と、設置もしくは点検年月の記載ではないだろうかと、希望も含んで推測する。
この白看に記載された文字は、上記のとおり「長野」の「長」と思われる文字と、最後の「9.9」しか読み取れない。
偶然016.【韮崎/岩村田】104と「9.9」が一致するので、想像をたくましくすれば、そこは「39.9」と読むことができるが、今は推測の域を出ない。
この後掲載する151.【中綱湖】105にも同様の記載が見られ、これは長野県の白看に一定程度共通する仕様のようである。

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追記 059.案内標識【米里】

059.案内標識【米里】

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なぜか撤去され現存しないと思い込んでいたこの標識。
現存していました。

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140.案内標識【青岩橋】

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所在 青森県三戸郡三戸町
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5年/2023年5月
位置 40.345464, 141.275024
備考

白看ブリグ初となる青森県の白看は、白看的に有名な、旧国道4号線青岩橋から【青岩橋】。
岩手と青森との県境に架かるこの橋の付近には、かつて【青森県】101をはじめとして、両県合わせて6本のも白看が集中していたという。
その後、何本かは撤去され、直近の2019年のストリートビューによれば、この【青岩橋】ともう2本、【盛岡/福岡】と【青森/十和田】のそれぞれ104が残っている様子。

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今回青森県に行く機会を得たため、これら3本を見るのを楽しみに、現地に向かった。
現道の国道4号から旧道に入るとすぐに【盛岡/福岡】が撤去されていることを知る。残念だが仕方ない。
次に現れる【青岩橋】は、上の写真ではわかりにくいが、街灯のたもとに現存しているのを確認。
草木はまだ勢いがないが、風に揺れ、白看も比較的高い位置にあるため写真が撮りにくい。腕を伸ばして何とか撮影する。

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さらにこの道の先の現在車両通行止めとなっている青岩橋のたもとには【青森/十和田】があるはずなのだが…。
クルマを降りて徒歩で進むと、行き止まりには黒いレンタカーが1台停まっており、珍しく先客がいる様子。
先客に一声挨拶をかける。

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果たしてそれは撤去されていた。
残念だが仕方ない。付近の地面もよく確認したのだが、板面はもちろんのこと、支柱の跡すら確認できなかった。
先客と思われる男性は、どうも白看目当てではない様子で、同業者ではなかったらしい。

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さて、【青岩橋】であるが、034.朝日橋105 では「ASAHIBASHI BR.」としていたところ、こちらは「SEIGAN BRIDGE」としており標記の仕方に違いがみられて面白い。
裏面は錆で真っ黒。支柱は比較的珍しい角型。
かなり古い時代から、東北への大動脈である国道4号線を見守ってきた白看だが、今はこの1本を残すのみ。
おそらく他の白看に比べ目立たないことと、吊り下げ式ではないために危険性が少ないことからか、撤去を免れている。

15年くらい前、青森、岩手は白看大国、いくらでも白看が残っているイメージがあったが、淘汰の波はみちのくの深くまで容赦なく及んでいるのだった。

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119.案内標識【湯元温泉】

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所在 福島県岩瀬郡天栄村
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和4/2022年9月
場所 37.28017154172073, 139.99084819444235
備考

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ずっと以前からその存在は知っていたけれど、通りそうで通らない道にあるために写真に収められていなかった白看。
「白看」とはいうものの、全体が錆と蔦に覆われ、白い部分は皆無。
そして絶望的に目立たない。
上の写真のカーブミラーの下にあるが、お判りいただけるだろうか。

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拡大写真。
何やら横に大きな看板らしきものがあるが、この白看同様錆と蔦に覆われ、「ミラー下の何か」として仲良く共存している。
さて、温泉に105〈著名地点〉が設置される例は珍しくなく、これまでにも本ブログで取り上げてきた。
面白いのはその英語表記で、011.【蔵王温泉】105、108.【大町/小谷温泉】103B では「HOT SPRING」、017.【仙台/白石/蔵王温泉】103B では「HOT-SP」、012.【鷹の湯温泉】103C 013.【稲住温泉】103C 055.【上牧温泉】105に至ってはなんと「ONSEN」という大胆な表記となっている。
温泉の英語表記ひとつとっても、白看らしいおおらかさが感じられて楽しい。

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一応裏側も確認。
105〈著名地点〉に多く見られる「キ」型の補強である。
まだ残っていて見られたのは幸運だったが、この目立たなさではしばらくは残っている気がする。
いっそのこと蔦が覆いつくせばカモフラージュされ、保存には有効かもしれない。

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113.案内標識【山形バイパス】

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所在 山形県山形市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和3/2021年8月
位置 38.260507, 140.348306
備考 一応105に分類

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ネット上では以前からこの「白看」(厳密には白看には分類できないが)の存在は知られていた。
山形県は僕の故郷であり、近くには昔通った高校もあるのだが、ネット上でその存在を知るまで、全く存在に気づかなかった。
仮に存在自体に気づいていたとしても、高校以前の僕であれば何の気にも留めなかっただろうが。

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ローマ字併記が大文字ではなく小文字であるため、言うまでもなく、所謂「白看」には該当しない。
白看に分類するにしても、方面のみで距離の記載がないため、103及び104に分類できるものはなく、消去法で著名地点に分類した。
「山形バイパス」が著名地点であるはずはなく、この標識の設置目的はあくまでもバイパス利用者に向け、その方向を示すものであるのだから、103のどれかに分類したいところだが、距離標記がない以上やむを得ない。
それでもあえてここに取り上げるのは、故郷山形における白看のネタ稼ぎという側面も否定できないが、表面のクラックの入り方、色を含むフォント、矢印の形が白看のそれに酷似しており、とてもいい雰囲気を持っているからである。

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裏面はいかにも白看末期頃の形態の「キ」型で味わいには欠ける。
さて、山形バイパスの開通はいつ頃か調べてみると、山形県土木部作成「建設行政に関する県内の主な出来事」によれば、昭和43年に「国道13号山形バイパス(山形市蔵王飯田~天童市久野本、20.4km)が開通」とある。
開通自体は、昭和46年以前であり白看の制定期間内であるが、交通量が増え、案内標識の設置の必要が出てきたのはもう少し後のことであると推測すれば、白看末期の雰囲気にほぼ合致する。
ということで、この標識の設置年代は昭和40年代末期と推測する。

令和の現在にあっては、この「山形バイパス」がそもそも国道13号線のバイパスであることを意識する人もいないだろうが、標識自体はしっかり立っているし、あっても役に立たないが、撤去する必要もなさそうなので、もうしばらくはここに立ち続けるだろう。

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112.案内標識【スカイバレーライン】

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所在 福島県耶麻郡北塩原村
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 平成22年/2010年11月
位置 37.725946, 140.063296
備考

こちらの白看は今から11年前の2010年に撮影したもの。
秋の良い時期に、家族と土湯温泉に行った帰りだった。

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メーカーによる差なのか、か細い繊細な印象のあるフォント。
この主張しすぎない繊細なフォントの白看は好印象である。
色も明るめの紺色がきれいに残っており、好きな白看のひとつ。

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下記リンク先の貴重な映像のキャプションによれば、西吾妻スカイバレーの開通は昭和36年とのこと。
懐かしの風景「西吾妻スカイバレー開通」(昭和30年代)
ところが、北塩原村の公式HPによれば、「有料道路」の西吾妻スカイバレーが開通したのは昭和48年としている。
こちらで昭和36年を参照すると、「県道米沢猪苗代線開通」とある。
北塩原村のあゆみ
おそらく、県道としての道路が開通したのが昭和36年、「西吾妻スカイバレー」という愛称とともに有料道路として開通したのが昭和48年のことだったと推測される。
この白看も昭和36年のものとは雰囲気的に考えにくく、白看末期のものと考えれば辻褄が合う。

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冬支度を始めた風景に、良く似合う白看である。

続きを読む "112.案内標識【スカイバレーライン】"

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050.案内標識【指浜】(再掲・3.11震災前後)

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所在 宮城県牡鹿郡女川町
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 平成18/2006年7月
位置 38.470672, 141.48154
備考 現存せず

再撮影ではない。
今日で2011年3月11日の東日本大震災から10年が経った。
僕自身は、幸いにも直接の被害は被っていないものの、東北生まれ東北育ちの身としては、思うところがあるものだ。
とはいえ、白看ブリグはそのような僕の思いなどを開陳する場ではないし、そうしようとしたところでうまく書くことはできない。
そのため、白看的に思うところを書く。

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既にこの白看は、050.【指浜】105で掲載済みである。
僕は2006年、今から15年近く前、震災の5年近く前にこの白看を撮影している。

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これは、Googleから引用した、同地点の2011年8月、震災から5か月後の画像である。
白看がなくなっていることはもちろんのこと、白看の傍に立っていた民家は、門と塀の一部を残してなくなっている。
もう、ないのだ。

前回掲載の記事にも書いたが、この白看を撮った15年近く前、僕はここでオジサンの姿を見た。
会釈くらいはしたようだ。
少なくとも言葉は交わしたのだ。
けれど、そのオジサンは今もご健在か、震災前に亡くなったか、震災により亡くなったか、今の僕には知るすべもない。
名前も知らなければ、顔すら覚えていないのだから。
かつてここにあった白看を再び見ることはできないし、そのオジサンに再び会うことも、そのオジサンの生死に関わらず、二度とないだろう。
もう、ないのだ。

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一期一会。
ありふれた言葉だけれど、これは人にも白看にも当てはまる。

震災を持ち出してまで白看の話題か、と叱られそうだが、僕は大真面目にこれを書いている。

 

 

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