157.規制標識【最大幅 MAXIMUMWIDTH】

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所在 長野県須坂市
標識コード 317の2〈最大幅〉
撮影 令和4/2022年3月
位置 36.645080, 138.303848
備考 須坂市内の〈最大幅〉5/5本目。

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須坂市内に集中的に残る〈最大幅〉の旧型標識。
本当に一体どういうことなのか、こんなにも貴重な60年くらい前のものと思われる旧型標識が、須坂市市街地に集中して5本も残されている。
153.のところにも書いたように、このような「規制標識」は白看のような「案内標識」とは異なり、その示す情報が古くなることが比較的少ない。
白看のような案内標識は市町村合併やバイパスの整備などにより、表示されている地名や距離、ルートが変わることは多いだろう。
一方、〈最大幅〉ような規制標識は、その道が主要なルートから外れてしまった場合であっても、その道が拡幅されない限りはその示す情報の内容は変わらない。
実際にここまで掲載してきた5本中4本は現在でも情報としては現役であった。

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また、吊り下げ式なども多い案内標識にくらべ、規制標識は比較的低い位置に自立して設置されていることが多いため、劣化による落下等の危険性も少ない。
そのため、設置根拠となる規則が改正されてそのデザインが変わったとしても、役所としてはコストをかけて敢えて撤去する必要がないのだろう。
事実を示している標識が、古いデザインのままだとして非難する者も少ないだろう。

とはいえ、やはりこれだけ集中的に残っていることは貴重であり、嬉しい。

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さて、一連の〈最大幅〉の最後を飾る5本目「2.4M」は5本中もっとも状態が良くきれいだ。
背も低く、可愛い。

ところで、この規制標識317の2〈最大幅〉の制定は昭和37/1962年1月のことであり、その翌年の昭和38年3月には現在に通じる丸型の標識に変更されている。
ということは、これら長方形の〈最大幅〉はわずか1年ほどしか制定されなかったということになる。
すなわちこれら5本の〈最大幅〉は、実は昭和37年から昭和38年の初頭にかけて設置されたものであると推定できるのである。
規則の改正できっちり切り替わったかどうかは疑問ではあるが、設置年代がほぼ特定できる点でも非常に貴重な317の2〈最大幅〉なのだ。

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貴重な旧型標識を一気に5本も見て、もうお腹いっぱいだ。
それにしても「MAXIMUM WIDTH」、なんてカッコいい響きなのだろう。

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156.規制標識【最大幅 MAXIMUMWIDTH】

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所在 長野県須坂市
標識コード 317の2〈最大幅〉
撮影 令和4/2022年3月
位置 36.653761, 138.312689
備考 須坂市内の〈最大幅〉4/5本目。

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長野県須坂市内に残る旧型標識〈最大幅〉の4/5本目。
クランクの奥に続く小路の入り口に立っている。
4本目ともなると少しずつ規制が緩まり「2.3M」まで広くなった。

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この標識の味わい深いところとしては、地面に埋め込まれて立っているのではなく、物干し竿の支柱のように、基礎に立っているところにある。
トミカとかNゲージとかで製品化されそうな模型感が可愛らしい。
このような形の標識は、昔の街並みの写真集等ではよく見かけるのだが、現存しているものはほとんど見かけないと思う。
可搬式であるだけに、簡単に撤去されてしまうからであろう。
このような標識は白看ブリグにおいても、初めてかもしれない。
もっとも、白看ブリグの主要コンテンツである所謂「白看」は、固定されるべき標識であり、可搬性を持たせる意味がないため、これまで登場しなかったことも当然と言えば当然ではあるのだが。

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状態といては、錆などの劣化は年代相応に思えるが、左肩に折れ曲がった痕がある。
それでもおよそ60年くらい前のものと思えばよい方だろう。
須坂市内の〈最大幅〉の裏面には特に刻印やメーカー記載等は見られない。

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奥に見える白い建物と車は現代風であるが、そのほかの雰囲気は当時の雰囲気を良く残している。

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155.規制標識【最大幅 MAXIMUMWIDTH】

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所在 長野県須坂市
標識コード 317の2〈最大幅〉
撮影 令和4/2022年3月
位置 36.661826, 138.312758
備考 須坂市内の〈最大幅〉3/5本目。

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153.154.に続く須坂市内の〈最大幅〉3/5本目。
幅の狭い順にこれは「2.0M」。
どう見ても個人のお庭に立っている。
個人感ただならぬ様子で、ここの住民が趣味で立てたのではないかと思うほどだ。

しかし、もし個人で立てたのであれば、メンテナンスはもっと行き届いて良いはずだ。
それだけこの標識の状態は悪い。
基本的にこの時代の標識は琺瑯製とみられ、現存しているものは白看などに比べると比較的良いものが多い。
特徴的な弾痕状の錆も多く、その雰囲気は宮城県川崎町の106.【静かに QUIET】405に似ている。

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これだけ錆びてボロボロな標識が自分の家の庭に立っていて、このお宅の住民は気にならないのだろうか。
これがもし自分の家で、僕がこういう趣味をしていなければ、役所に「なんか庭に昔から変なボロボロのが立っているのですけれど、取ってくれませんか?」と言ってしまいそうだ。

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家と一体化した旧型標識はとても佇まいが良いが、それだけに写真にも収めにくい。
何も言わずにボロボロ標識を許容してくれている住民に感謝しなければならない。

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154.規制標識【最大幅 MAXIMUMWIDTH】

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所在 長野県須坂市
標識コード 317の2〈最大幅〉
撮影 令和4/2022年3月
位置 36.666839, 138.304228
備考 須坂市内の〈最大幅〉2/5本目。補助標識付き。

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153.に続く須坂市内の〈最大幅〉2/5本目。
表示は「2.0M」となっているが、周辺の道路は拡幅されたようで、それらしい隘路は見られない。
その点前回の153.とは異なり、その役割は既に失われている。
しかし自然に倒れ放置されているというよりは、意図的に横たえられているように見え、その扱いに配慮が感じられて好ましい。

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この標識の特筆すべき点は、補助標識まで残っている点にある。
錆びによりはっきりと読み取れないのが残念だが、「〇〇から」「m先より」という文字が判別できる。
普通に考えれば「〇〇から」とくれば「△△まで」とくるのが自然に思えるが、どういう表示だったのだろうか。
「〇〇から」の前に何か書いてあるようにも見えるが、よく確認してこなかったことが悔やまれる。

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補助標識付きの縦型長方形の旧型標識を見たのはこの時が初めてだった。
昔の写真等では見たことがあるが、当時は補助標識付きのご丁寧な標識が多かった印象。

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背後の土蔵は壁が崩れ、空は春の曇天。
廃れた風景が、えも言えずよい。

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153.規制標識【最大幅 MAXIMUMWIDTH】

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所在 長野県須坂市
標識コード 317の2〈最大幅〉
撮影 令和2/2020年8月
位置 36.656218, 138.297636
備考 須坂市内の〈最大幅〉1/5本目。

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白看ブリグ初登場となる〈最大幅〉。
縦型長方形+英語表記の旧型標識のうち、比較的見慣れた昭和35年12月制定の〈警笛鳴らせ〉から少し遅れて、〈最大幅〉のみなぜか昭和37年1月の制定となっている。
標識コードも「317の2」となんか中途半端。
全くの推測に過ぎないが、次第に自動車が普及してきて、既存の未改良の道路では狭く感じられることが多くなったため、注意喚起のこの標識が急遽制定されたのではないだろうか。
この場所の「最大幅」は1.8m。
これは昔のクルマでも狭く感じたであろう幅に見えるし、現代のクルマからしてみれば無事に通り抜けられる保証はなさそうだ。
ちなみに現行のVWゴルフの全幅は1,790mm。
ここを通り抜けるのは不可能だろう。

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他の琺瑯製旧型標識同様、標識自体の状態は良い。
しかも、現在においても道幅が改良されない限りこの標識がその役目を終えることはないのだし、さらに言えば、どんどんクルマが大型化する現代において、相対的にこの標識の存在意義は増していくということもできるのだ。
設置後50年以上の時を経て、なお存在意義を持ち続けているこの〈最大幅〉は偉い。

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ところで、ここ長野県須坂市にはいったいどういう訳かこの旧型標識の〈最大幅〉が集中して現存していることで知られている。
上記のとおり現在でもその存在理由を失っていないのだから、現存していておかしいという理屈はない。
無くなると淋しく残念な旧型標識ではあるが、一方で「集中的に」あったらあったで不思議に思えてしまうのだ。

そういう訳で、この後も合計5本の須坂市内の〈最大幅〉を取り上げてみたい。

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151.案内標識【中綱湖】

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所在 長野県大町市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5/2023年3月
位置 36.600105, 137.845540
備考

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150.【木崎湖】105の北側に、もうひとつ中綱湖という小さな湖がある。
そのほとりに立つ白看。
恐らく150.【木崎湖】105と同じ時期に設置されたものであると思われる。
「著名地点」として案内されているということは、この中綱湖もかつてはそれなりのレジャースポットだったのだろう。
今では国道148号線のバイパスもできており、通る車もまばらな静かな湖畔の集落といった場所だ。

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こちらは蔦に絡まれることもなく、比較的元気に立っている。
板面の状態は150.【木崎湖】105と似たような状態ではあるが、こちらの方がうまく言えないが「白看らしい」雰囲気があり、好ましい。

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背面は150.【木崎湖】105と全く同じ「キ」型。
左下にも同様の文字表記が見られる。
こちらの方は間近に接近できたので、もう少しよく観察することができた。

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「長野県大建□□案□□39?.□」と読める。
「大建」というのは恐らく「大町建設事務所」を指しているのではないだろうか。
数字の方は150.【木崎湖】105で読み取れた部分と併せて推測すれば「39.9」ということになり、偶然の一致か意味があるのか、奇しくも016.【韮崎/岩村田】104に見られた記載と一致することになる。
この「39.9」という記載を、そのまま「昭和39年9月」と読み取ってよいのか、それとも他の意味があるのか、今ははっきりしたことは不明だが、ここでは前者の意味として考えておきたい。

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150.案内標識【木崎湖】

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所在 長野県大町市
標識コード 105〈著名地点〉
撮影 令和5/2023年3月
位置 36.545626, 137.842197
備考

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長野県の国道148号線旧道沿いに残る白看。
レジャースポットとして著名らしい木崎湖のほとりで、今も倒れかけつつも頑張って案内している。
この白看は以前にも撮影していたが、夏季だったため草が繁茂し、板面をうまく撮れなかった。
今回は冬枯れ残る春先に撮影したが、やはり枝が邪魔をする。

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支柱には蛇が獲物を捕らえるように蔦が絡まり、標識自体は傾きが大きく、満身創痍といった風情である。
それでもなお立っていられるのは、案外蔦のおかげなのかもしれない。
板面の劣化具合は、草に埋もれた時によく見られる味わいに欠ける汚れ方で、同様のものには081.【石川県】012/082.【津幡町】 や091.【長野市】101 などが思いつく。
ひっかき傷のような傷も見られる。

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裏面は単柱式の101〈市町村〉や105〈著名地点〉ではお馴染みの「キ」型の補強。
残念ながらうまく写真には収められなかったが、左下には「長□□□9.9」の文字が見られる。
この文字、どこかで見たなぁ…思い出すに、016.【韮崎/岩村田】104の背面にも同様の文字が見られた。
そこには「長野県岩建□□.39.9」という文字があった。
長野県の出先機関には「建設事務所」というのがあり、各地域の土木行政を担っているようだが、「岩建」というのは「岩村田建設事務所」の略と思われる。
現在長野県に「岩村田建設事務所」という組織は存在しないが、その後統廃合されたと推測する。
要するに、背面の記載は所管建設事務所と、設置もしくは点検年月の記載ではないだろうかと、希望も含んで推測する。
この白看に記載された文字は、上記のとおり「長野」の「長」と思われる文字と、最後の「9.9」しか読み取れない。
偶然016.【韮崎/岩村田】104と「9.9」が一致するので、想像をたくましくすれば、そこは「39.9」と読むことができるが、今は推測の域を出ない。
この後掲載する151.【中綱湖】105にも同様の記載が見られ、これは長野県の白看に一定程度共通する仕様のようである。

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138.案内標識【南軽井沢/軽井沢駅】

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所在 長野県北佐久郡軽井沢町
標識コード 103B〈方面・方向及び距離〉
撮影 令和5/2023年3月
位置 36.335039, 138.621538
備考 距離標記がないため、103Bの亜種とする

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これは騙される。
パッと見、完全に白看の印象だ。
白看だと思って眺めていると、上段と下段が段違いになっていることに気づく。
通常の103Bだと段違いにはなっておらず、格子状に方面、方向、距離が分かれて記載されているため、段違いになっていると違和感があるのだ。
そこで初めて距離標記がないことに気づき、103Bではないことを認識する。

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騙されてぬか喜びをした自分を擁護するわけではないが、かなり雰囲気のいい偽物だ。
色使い、フォントの雰囲気、「STN.」の略し方、表面のモザイク状のクラックなどの劣化具合
、どこをどう見ても白看のそれだ。足りないのは距離標記のみ。
距離標記がないため、いうまでもなく「方面・方向及び距離」ではないので、103Bよりは105〈著名地点〉に分類した方が適当なのかもしれないが、105〈著名地点〉で方向を示す場合は、「羽付き」の矢印が用いられることが一般的であるし、見た目の印象はどうみても103Bだと僕は思うので、独断と偏見で擬103Bとする。

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裏面を見ると、これまで見たことのない構造で固定してあることがわかる。
よく見られるのは同じ長野県内の例だと、091.【長野市】101のような「キ」タイプであるが、
今回のものと比較的近い感じがするのは、088.【猪谷駅】105のような留め具が横に短いタイプであり、それほど数が多いタイプではないはずだ。

付近は大きく立派な美術館のような建物が多い、静かな林の中。
その中で雨に濡れたこの標識は、なかなかに良い雰囲気を漂わせていました。

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137.指導標識【警笛鳴らせ SOUNDHORN】

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所在 長野県上水内郡小川村
標識コード 406〈警笛鳴らせ〉
撮影 令和4/2022年10月
位置 36.632349, 137.966296
備考

125.【警笛鳴らせ SOUNDHORN】(宮城県仙台市)に続いて、白看ブリグ3本目の406〈警笛鳴らせ〉。
白看ではないが、非常に貴重な旧型標識のひとつである。
全国的にも数が少なく、現存しているものは全て貴重なものであり、できることなら1本でも多く記録に残したいと思っている。

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場所は小川村役場から北上した山あいの長閑な集落内。
今の様子から見ると、見通しも悪くなく、特段危険な様子は見られないため、なぜここで警笛を鳴らさなければならないのか、現状からは推し量ることは難しい。
すぐ傍には村立小川北小学校跡があり、小学校の傍でプッププップ警笛を鳴らされたら喧しいだけのような気もする。
しかし何事も現在の感覚で過去を想像しては間違いのもとである。
きっと当時は道路拡幅の前であり見通しが悪かった、木々が鬱蒼と茂っており見通しが悪かった、人口も多く車の往来がずっと激しかった、など何か理由があったはずである。

標識の状態自体は過去の2本に比べると非常にクリーンである。
琺瑯製であることから色がきれいに残っているだけでなく、この種の旧型標識に多く見られる弾痕状の塗装の欠けとそこから発生する錆びも非常に少ない。

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支柱は味わいの深い木製。
この406〈警笛鳴らせ〉は昭和25年に制定され、昭和35年の省令改正まで用いられたもので、白看に比べると比較的設置年代が古い。
しかし木製の支柱の旧型標識はこれまで見てきたなかでもその数は多くはなく、山形県の002.【危險 DANGER】(山形県南陽市)063.【宮内/中川駅】103B、それに福島県の089.【石川/白河/郡山】103A、長野県の067.【長野/柏原】103Bくらいと数えるほどしかなく、しかもどれも味わいにおいては一級品である。これらがすべて撤去されてしまっている現在、木製支柱を持つこの標識はその点においても貴重と言える。

さて、裏面をよく見ると、右下にあのマークが。

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また出た!「KANTO-ENAMEL TOKYO」のロゴマーク。
前回の125.【警笛鳴らせ SOUNDHORN】(宮城県仙台市)も同社製だった。ということは、両者は同じであるはず。
並べて比べてみよう。

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左が今回長野県小川村のもの 、右が宮城県仙台市のものである。
あれれ、結構違う。
間違い探しのようになるが、「警笛鳴らせ」の文字が仙台市のものの方が細く繊細であること、真ん中の図案のホーンの大きさが#2の方が小さく、ビビビーと出ているギザギザの数もも少ない。
(実はそもそものサイズが違っており、宮城県のものの方が小さいため、図案の違いが生じたものと思われる)

そう、これこそが魅力。
今であればコンピュータで図案化し、どんなに大量に作製しても寸分狂わず同じものが作れるはずだし、そうしないと品質管理の面でもクレームがつくかもしれない。
しかし当時はおそらく職人が1本1本手書きで作成していたはずであり、その個体差こそが今の標識にはほとんど見られなくなった、白看をはじめとする旧型標識の大きな魅力なのである。

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近くの酒屋さんは廃業して久しい様子。
静かな晩秋の山里に、僕は趣深い標識を見ることができた。

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131.案内標識【帯川/飯田】

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所在  長野県下伊那郡阿智村
標識コード 103B〈方面・方向および距離〉
撮影 令和元/2019年11月
位置 35.375830, 137.688355
備考

130.【帯川/豊田】103Bのすぐ近くにもう1本ある白看。
黒ずんだ傷み方はそれと瓜二つにそっくり。

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これら二つの白看に出てくる「帯川」という地名、それほど重要な場所なのだろうか。
さらっと調べるに、江戸時代には帯川関所なるものが存在し、帯川村という村は確かに存在していた。
しかし帯川村は明治の初めに合併して消滅。
現在はバス停などにその名を留めているに過ぎないようだ。

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裏面の傷み具合まで130.【帯川/豊田】103Bにそっくり。
兄弟白看である。

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130.【帯川/豊田】103Bはその後撤去されてしまっているが、なぜかこちらは命を永らえ、現存している模様。
静かな集落にたたずむ白看、できるだけ長くここに立っていていただきたい。

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